馬路村・魚梁瀬森林鉄道跡隧道群 その3

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その2

※撮影日:2004年春/2005年夏



 
場所は変わりここは村役場近くの花壇。
普通に通過していたらなかなか気付かないが、ここに軌道跡の隧道はある。
 
花壇の下を見ると、なんとぽっかりと穴があいてるというサプライズ。
 


 


 
少し離れて観察すると、確かにこれまで見た隧道と同タイプのものだとわかる。

敷かれているレールは、残念ながら当時のものでなく、後年再現されたものだ。
 
悔しいことに植物の隆盛が激しく、最大ズームでも隧道番号は確認できず。
上り下りする方法が閃かない以上、降りて確かめるわけにはいかない…
 


 


 
さて撤収、と思い戻ろうとしたその時。
ふと目についた奇妙な人工物。

……

これって地下に繋がる梯子だよな。
もしかして隧道内に入れる、のか?
 
でもチェーンついてるしがっちり蓋してあるし…入りたいがそれはやめておこう。
妥協案として、デジカメを隙間に忍び込ませて隧道内部を撮影してみた。

内部がやはり石組みであること、そして人為的に閉塞されていることが写真から確認できる。
 


 
さきほどの隧道は、村役場の最も近くにあるということで、当時の住民にとっては特別な隧道であったと思われる。

さて、役場付近の隧道を紹介したということは、レポ終了?
いやいや、上流側にまだ物件はありまっせ。

では、さらに上流側にある隧道前まで、一気にかっ飛ぶとしましょうか。

 


 
県道をさらに北上するとこんな小道があるので入ってみる。
 
小さいながらもめいっぱい口を開けた隧道が向こうに出現。
遠目からでも、これまでの隧道と類似形であることがわかる。
 


 


 
接近してみると、交差点にはミラーがあり、隧道内には照明があるのを確認。

てことは、もしかしてもしかして…
四輪通行可能?
ってゆーことなのですかな!
 
石製ポータル側面にはやはり番号が…
「VIII」とある。県道沿いのが「V」だったから、花壇の隧道は「VIかVII」であると。

さらに言えば、1つ隧道を見逃している可能性があるとorz
 


 


 
出口は見えず、内部がどうなっているかよくわからないので、とりあえず徒歩で入ってみよう。話はそれからだ。

幅はやはり1車線分しかなく、四輪と歩行者の離合も難しそうである。
四輪といっても、軽四でないと通り抜けは無理かも。
 
金属巻きをくぐり抜ければ、やはり積み物で覆われた内部が迎えてくれた。

隧道はこの先でカーブしており、少し前進したものの出口は見えない。
これは照明があるのもナットクだ。
 


 


 
これは、鉄道隧道であった証拠のひとつである、とっても狭い待避所。
車道の待避所ではとても考えられないサイズだ。
 
隧道の天井に、ある特徴が見られた。
他物件と違い、黒く変色しているのだ。

かつて走っていた森林鉄道の煙の影響なのだろう。こんなところにも鉄道の名残が残っている。

しかしこれは隧道が酷使されていた、つまり老朽化していることをも意味する。
 


 


 
このように、側面の石が一部欠けているところもある。
もしかすると改修が必要なのかもしれないが、コンクリでべったりみたいな改良はやめて欲しいものである。
 
100mほど歩いて、ようやく外に出ることができた。

このポータルを例えるならば、さながら小柄な老兵といった感じか。
 


 


 
石の隙間から植物が生えてきている。。
老兵も植物には勝てなかったか。
 
少し離れて撮影したぞ。
いかにも古風な雰囲気漂う掘割もイイ。

この後、クルマで徐行運転しつつ隧道を通過したのは言うまでもない。
 


 


 
後日隧道を再訪問したら、こんな立て看板があった。
村を挙げて隧道を保存するような姿勢が見られて、ほっとした。
 
以上をもって、ひとまず森林鉄道のレポを終了とする。
だが、本文で述べたように隧道漏れのある可能性があり、更に山奥にも隧道のある可能性が否定できない為、これで完結とは限らないことを断っておく。

後日談1 しろさんより、「花壇の隧道番号は『VII』」旨の情報をいただきました。
ということで、現況が把握できていない隧道は「IV・VI・IX〜」となります。

後日談2 隧道正式名は次のように推定。(参考:高知新聞 2009年4月18日 夕刊)
 I:エヤ隧道 II:バンダ島隧道 III:オオムカエ隧道 V:平瀬隧道 VII:五味隧道 VIII:河口隧道

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